青侍が生く!

IT営業マンが人生を賭けて税理士に転身した結果

決意を揺らがせなくないなら自分自身に楔を打て!

脳梗塞により病院に運ばれた僕は、約2週間の絶対安静の後、約1ヶ月の休職を余儀なくされました。

しかし、幸いにも後遺症なく回復することができ、職場復帰を果たすことができました。

 

休職中は何度も自分の人生を思い返したし、本当に自分が社会復帰できるのかどうか不安もありましたが、ありがたいことに自分の休職前のポストはそのまま残されていました。

これには喜び半分、不安半分でした。1月休んでも、自分のポストが残されていることは嬉しかったのですが、また元の多忙な生活に戻るのか…という不安もありました。

そして何より、僕の頭からはあの命題が離れなくなっていました。

 

【この仕事を自分の生涯の仕事にするのか?】

 

■命を捧げることができる仕事とは

僕は、命を賭けてまでは今の仕事は続けられないと思いました。それでも、僕には自分の人生を賭けてやりたい仕事が何かなんてわかりませんでした。

 

ならば、ひとつしかない。

何がやりたいかでなく、何に人生を賭けるべきかだ。

僕には、人生を賭ける価値のある仕事がひとつだけありました。

きっとその決断は今しかできない。

 

こうして僕は年末、地元に帰ったときに家族と話し合いをしました。父の税理士事務所を継続させるには僕がやるしかない、と。

兄は反対しました。

父の仕事は正直縮小傾向にあったし、僕が学生時代に触りもしなかった税理士の勉強を今からやり遂げられる保障もありません。できなかったら僕は路頭に迷うことになります。何より兄は病み上がりであった僕の身体を心配しました。

 

■まがりなりにも第一の決意

結局、これによって僕は中途半端な、第一の決意をしました。

【いつかは今の会社を辞め、父の仕事を継ごう】という決意です。

将来のビジョンが曖昧だった僕にしては大いなる決意ですが、実に中途半端です。

後に、これではいけないと軌道修正することになるのですが、なんにせよ僕は、このタイミングで将来のゴールを決めました。

 

■そして第一の楔

そしてここで僕は、その決意が病気になったことによる一時の気の迷いにならないように、後から揺らがないように、自分自身に楔を打つことにしました。

僕は、職場復帰を果たした直後、入院中ずっと支えてくれていた今の妻に、プロポーズをしていました。

そして、税理士を継ぐ決意をした後、妻のご両親に挨拶をしに行った時に、全てを妻のご両親に打ち明けました。

将来的には父の税理士事務所を継ごうと考えていること。そのために、まずは今の仕事を続けながら勉強を始めるということ。そして、生活の拠点を関西に移すため、結婚を前提に、妻を関西に連れて行くことを許して欲しいこと。

そしてご両親は、それを許してくれました。こうして僕は、絶対に裏切ってはいけない人に、税理士になることを宣言したのです。

 

ちなみにこの時点では勉強を始めると言っただけで、税理士の勉強は特にしておらず、知識は簿記3級レベル。読んだ書籍と言えばこれだけでした。

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石橋を叩いて渡る性格の僕が、よくこんな無謀な発言したなぁと今でも思います。勢いって怖い。

 

■生活の拠点を関西へ

かくして僕は、会社に対して関西への転勤を打診することとなります。

もちろん、それが税理士を目指す為の前準備であったことを言うわけにはいかなかったとはいえ、これについては立ち回り方が良くなかったと、今でも思います。

客先へ向かう途中に倒れた僕を病院に運び、病に伏してもなお、僕に期待をしてくれていた上司を、僕は裏切ってしまいました。

ただその上司に誓って、確かに僕は最終的には会社を辞めるつもりで関西への転勤を打診しましたが、関西で仕事の手を抜いたつもりは断じてありません。これについては例えこのブログの存在が知り合いにバレたとしても、強く宣言したいと思います。

 

こうして僕は拠点を関西に移し、営業の仕事を続けながら、税理士を目指して勉強をすることとなります。

が、後から思い返しても、この頃はほとんど勉強をしていたうちに入らないような気がします。

 

■当時の勉強ぶりとは

上記の通り、いつか辞める決意はしたものの、仕事を疎かにするのは嫌だったし、かと言って、ITの営業と会計の勉強を両立できるほど、僕は器用でなかったというのが結論です。

努力不足だったと言えばそれまでかもしれないです。

ただ、その時の経験があるからこそ今があるとも言えるし、新天地であった大阪での仕事も、短い期間ではあったが、沢山の学びがありました。

大阪での上司は、今までとはまた違うタイプで、かつ優秀な人だったし、東京とは違った商談のやり方を色々経験できました。

事情を知る親族からは、いつか辞めるつもりなら、病気のこともあるのにもっと負担の少ない部門に行った方がいいんじゃないかと言われましたが、それだと自分が病気に屈したみたいになるので嫌でした。

結果両立ができなかったことについては、結局自分のプライドに負けていることになるけど、そこは、最後まで営業職を貫いて良かったと思います。

 

■それでも決意がブレなかったのは第一の楔があったから

結局僕はこの後、関西での新生活やら結婚式やらに翻弄され、勉強の方は全然奮わず、何度も気持ちがブレそうになります。

だって僕は、表面的には元の仕事で関西に転勤しただけで、そのまま会社に残る逃げ道はいくらでも残されていたからです。

ただ、僕に真の決意をさせたのは、妻のご両親に宣言をした楔があったからだと思います。

 

もちろん僕が、前の仕事を続けながら、仕事には手を抜かず、それでいて税理士試験の1科目や2科目くらい合格できるほどに優秀であれば良かったのだですが、そんなに優秀じゃなかったので、仕方がありません。

 

と、いうところで、鬼のように前フリが長くなった上になんかコラムみたいになっていますが、このような経緯で僕は前の仕事を辞める決意を固め、人生を賭けて父の税理士事務所を継ぐこととなりました。

次回以降はダメだった頃の勉強法や、本気になってからの勉強法など、ようやく本題に入ろうと思います。

なっげぇのに読んで下さった方はどうもありがとうございました。