青侍が生く!

IT営業マンが人生を賭けて税理士に転身した結果

シン・青侍が生く!始動!

平成26年2月。

日商簿記2級を本気で勉強したことにより、自分はこのまま仕事を続けながら勉強しても税理士試験突破にはたどり着けないことを悟った僕。ついに、会社を辞めて父の事務所に入る検討を始めます。

その頃からは平日は普段通り仕事をし、父は土曜日も事務所に出ていたので、自分も時々事務所に行って、仕事の様子を横で見るようになりました。

これから結婚して家庭も持つのに、会社を辞めて父の事務所に入って、本当に生活して行けるのか…。当時、税理士の仕事は父が1人でやっており、仕事も縮小傾向にあったので不安は山盛りでした。

ちなみに、その頃は並行して結婚式の準備もあったので、日商簿記2級合格後はあまり勉強自体はできていなかったと思います。

  

あとは退職のタイミング。元々は大阪転勤後もしばらくは仕事を続ける気でいたので、転勤後1年も経たずに辞めてしまうのは気が進みませんでした。

それに、僕も営業職としてのプライドがあります。

その頃は、転勤後の新しいお客さんと頑張って関係を作り、育ててきた案件がいくつもありました。せめて辞めるのはその案件を軌道に乗せてから…。

 

そう思っているうちに、5月になりました。力を入れていた案件もいくつかは受注し、プロジェクトも動き始め、あとは最後の大物を軌道に乗せれば…という状況でした。

しかし組織というのは時に非情。ゴールデンウィークの直前、人手が足らなくなった別部署に異動して欲しいというお達しが僕に突き付けられました。

しかし、それは同時にチャンスでもありました。

踏ん切りをつけるなら今しかない!

 

ゴールデンウィーク。父、兄、僕で、再び家族会議が開かれました。

兄はまだ反対していました。もし途中で父が亡くなったら僕は路頭に迷ってしまうかもしれない。

しかし、もうここまで来たら後戻りはできません。

 

ゴールデンウィーク明け。僕は上司に退職の申し入れをしました。

上司は思っていた以上に親身になって話を聞いてくれました。ずっと悩んでいたんだな、でも本当にやっていけるのか。だいたい兄と同じような事を上司にも言われました。

 

こうして、僕の退職が決まりました。

ゴールデンウィーク明けの異動は中止。僕はその時に抱えていた案件を全て引き継いだ上で、6月末に退職をすることになりました。

最後の大物案件は僕が辞める数日前にようやっと受注しました。おかげで関西で1年間お世話になった部署に、1億の契約の置き土産ができました。

 

そして、平成26年7月1日。

僕は父の税理士事務所に入所しました。

僕、28歳。父、78歳。

父が築いた税理士業を存続させる為、

人生を賭けた戦いが幕を開けました。

 

ダメな勉強法も随分引っ張りましたが、ようやく次回からは本気になってからの勉強法を記事にしていきます。ここから本編開始です!

最初からここまで読んで下さった皆さんには、皆さんに代わって僕の方からセルフツッコミをさせていただきます。

前フリなげぇぇぇぇ!!